紫のひともとゆゑに

 人は生まれるところを選ぶことは出来ない。どのような人間として生まれるかも選べない。気が付いた時には否応無しに存在する《自分》というものを育てるのは、ある時からは自分自身であろう。それは大きな、不安な仕事である。だからこそ、この世に、仮に一時でも、自分を背景ぐるみ全肯定してくれる人がいるかもしれない、という想像は、泉を見るような安らぎを与えてくれる。         北村薫著「秋の花」より

この部分を何度も何度も読み返しました。
そしてノートに書き留めました。
この本から、もう一か所メモしたところ

紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る

古今和歌集にあるそうです。867
意味を調べてみました。

    (訳)ただ一本の紫草があるために、広い武蔵野じゅうに
       生えているすべての草が懐かしいものに見えてくる。
    (解釈)紫草を自分が愛する人に、他の草をその縁者にたとえて、
        愛する人ゆえにその縁につながる人がみな慕わしく思われる
        と詠んだのである。


うちにある紫の草
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ユーカリ・・・け?
by ofword | 2017-10-05 18:35 | 趣味